それほどでもない話があるところ。

ほんの些細なノスタルジー。文章。暇をご用意ください。

花の見頃

「もうこの歳だしな」

 なんていう言葉は、たくさん聞いてきた。たとえば、そう。多いのは転職だろう。結婚……ということもあるか。とにかく、なにかを始めるのに年齢がチラついて一歩を踏み出せない、ということだ。

 私は転職組だが、隣人はちがう。新卒からずっと今の会社に勤めているらしい。そう、桜の開花情報が流れるなかでね。ふとした世間話でそのことに触れれば、隣人は年齢を口にした。いまさら、と思うのだと言う。なるほど。勤続年数が長くなるとそう考えるのかと、大変参考になった。

「私はまだこの会社にいますよ。でも習い事とか始めたいですね」

「たとえば?」

 隣人は読書中だ。読んで聞いて話して、器用な人である。

「ピアノとか興味ありますね」

 最近見たジブリ映画のサントラピアノカバーを聴いたからだ。別に深い意味もなく、特にピアノが好きなわけでもなかった。教室に見学に行くかどうかも怪しい。せいぜい、Google検索をするくらいだろう。だって、いまさらピアノを習ってどうする? いや、どうにもならない。音大を目指す熱があるわけでもないし、発表会などがあったとしても、大変こそばゆい。誰にも来てほしくなどない。私がまだ学生だったら、真面目に通ったかもしれないがね。

 いろいろなものにはタイムリミットがある。他人から言われたり、自分で決めたり、いろいろだ。

 転職をするときもそうだった。ある程度の経験が欲しかったのだ。まだ若すぎると躊躇した。

「いいんじゃないか? 電子ピアノを贈るよ」

 でも、ピアノを習うのには、歳をとりすぎた。満開の桜など、私は見たことがないよ。

 

おわり。

(さっき牛丼を食べました)