感情に浸る
「なに聴いてんの?」
分厚い本を読んでいる隣人が、本に目線をやったまま聞いてきた。私はイヤホンを外して、松原みきの真夜中のドアと答えたが隣人はその曲を知らないようだ。もう少し前に聞いてくれれば、竹内まりやのプラスティック・ラブだったんだけどな。
「この時代の音楽、好きなんですよね」
最近はテレビもインスタもレトロブーム。あちらこちらから、懐かしいの声が聞こえてくる。私の聞いているシティポップも再注目されていた。とりわけ海外からの評価が高いらしい。まあ、日本賞賛系のコンテンツがあふれている今日、どこまで信用していいものか分からないけれど。
「今はサブスクで手軽に聴けますからね。宝探しをしているようで、いいですよ」
私がそう言うと、静かな隣人は本に栞を挟んだ。自分のiPhoneを鞄から出して、端末を操作している。隠す気のない画面をのぞくと、アプリでシティポップと検索していた。隣人は本を読むのが好きだ。頭に「分厚い」がつく本が。きっとBGMにでもしてくれるのだろう。誰かがつくったプレイリストを何個か保存してくれている。
「便利な時代になったもんですよね」
こうやって、いろいろな準備をしなくても誰かと何かを共有できる。素晴らしいことだ。けれど私は、あの時代の共有方法も好きなんだ。この感情こそが、懐かしいというものなのだろうか。たとえ私が、その時代のそんな思い出などなかったとしても。
おわり。