それほどでもない話があるところ。

ほんの些細なノスタルジー。文章。暇をご用意ください。

染め上げた生成り

「今のは、待ったをかけたいですね」

 私は、隣人に話しかけた。隣人は本を読んでいる最中だ。いつも本を読んでいる。その本に栞を挟み、閉じた。「聞こうか」と、ひとこと呟いて。

 私は、「待った」の理由を話し始めた。

 つい先ほど、乗客の一人が客室係にリクエストをしていた。販売ワゴンの色付きティッシュに「色の付いていない普通のやつがいい」と。ここで、私の冒頭だ。

 色の付いていない普通のやつとは、つまり白いティッシュのことで間違いないだろう。不思議ではないだろうか? 白は紛れもない色である。ではなぜ、あるものたちに限っては色と認識されずに、無色とされるのだろう。

「ちなみに、染める前は生成りと言います。糸本来の天然色で、白に黄色がかったような感じです」

これすら無色とは言わない。続けて私は「ティッシュは漂白。紙は……」と、豆ほどの大きさもない知識を披露した。隣人はつまらなそうな顔をすることもなく、ただ黙って聞いてくれている。

 さて、私の話はこれで終わりだ。

 私が呈した疑問は、二人で考えても解決するものではない。せいぜい「見慣れているものを普通と思う」くらいの結論しか出せないだろう。私たちは科学的に考えるのが苦手なのだ。あともう一人くらい寄ってもらえれば、何か別の答えが見つかるかもしれないが。

 それはさておき、私の話にいつも付き合ってくれる隣人には、感謝しかない。話好きの私からしたら、大変ありがたい存在である。私は物事を複雑にしてしまう。それを吐き出させてくれるのだ。

 私は、車窓を見た。

 無色がどうのと言っておいて、私たちもそうではないだろうか。生成りのままにコミュニケーションをとることなど難しい。みな、何色かに染まっている。

 景色が流れていく。

 あの色付きティッシュはこの地域の特産品で、染の技術を生かしているものだと言っていた。他の地域で買うと高いらしい。せっかくなので、件のティッシュを買おうと思う。それを隣人に言ってみれば、「いいんじゃないか」と短く返ってきた。

 私は、この話で何を言いたかったのだろう。

 そうだな。私も隣人も特産品もその値段に至るまで、色が付いているんだよ。とでも言って終わりにしようか。

 

おわり。

(最近、目薬の消費が早いです)