それほどでもない話があるところ。

ほんの些細なノスタルジー。文章。暇をご用意ください。

感情に浸る

「なに聴いてんの?」

 分厚い本を読んでいる隣人が、本に目線をやったまま聞いてきた。私はイヤホンを外して、松原みきの真夜中のドアと答えたが隣人はその曲を知らないようだ。もう少し前に聞いてくれれば、竹内まりやのプラスティック・ラブだったんだけどな。

「この時代の音楽、好きなんですよね」

 最近はテレビもインスタもレトロブーム。あちらこちらから、懐かしいの声が聞こえてくる。私の聞いているシティポップも再注目されていた。とりわけ海外からの評価が高いらしい。まあ、日本賞賛系のコンテンツがあふれている今日、どこまで信用していいものか分からないけれど。

「今はサブスクで手軽に聴けますからね。宝探しをしているようで、いいですよ」

 私がそう言うと、静かな隣人は本に栞を挟んだ。自分のiPhoneを鞄から出して、端末を操作している。隠す気のない画面をのぞくと、アプリでシティポップと検索していた。隣人は本を読むのが好きだ。頭に「分厚い」がつく本が。きっとBGMにでもしてくれるのだろう。誰かがつくったプレイリストを何個か保存してくれている。

「便利な時代になったもんですよね」

 こうやって、いろいろな準備をしなくても誰かと何かを共有できる。素晴らしいことだ。けれど私は、あの時代の共有方法も好きなんだ。この感情こそが、懐かしいというものなのだろうか。たとえ私が、その時代のそんな思い出などなかったとしても。

 

おわり。

(ダイソーで買ったBluetoothスピーカーがなかなかの良さです……!)

直前の鉢合わせ

「あなたは私に似ている」

 職場でそんなことを言われると、ほんの少し安心したものだ。同類を見つけたようで。それが先輩なら尚更。ここではうまくやっていけそうな気を持たせてくれる。言われたときは、なんでわざわざ言うんだろう? と思ったものだが、なるほど。これは言ってしまうものだな。

「言葉づかいとか仕事に対する姿勢とか、周りへの気遣いとか。若いころの自分を見ているみたいなんだよね」

お互いに中途で入社したもの同士。歳は3つ離れている。もっとも、あちらはまだ入社5日目。人事部近くの廊下で会うということは、事務処理かなにかで呼ばれたのだろう。私のときもそんなことがあった。

 入社したてのころは大変な緊張をする。人間関係の失敗もあった。それが原因で悩むことだってあったさ。

 でもこの人はきっと、同じ場面に遭遇してもうまく立ち回るのだろう。私に似ていると感じつつも、私が学ぶべきものを既に持っている人だ。むしろ、出会えたことで私の目が覚めたと言ってもいい。

「お疲れ様です」

 そう言いながら、お互い笑顔ですれ違った。

 私はこれから、退職届を出す。会社の書式があることは知っているよ。

 

おわり。

(知り合いからいただいた保温ボトルに、東京都不正軽油撲滅推進協議会と書いてありました)

苦しむコーヒーと静かな隣人

「最近、いい人いる?」

 隣人に聞かれた。学生のころに帰り道でした些細な会話、好きな人いる? と同じ意味だ。私は、みっともなくも口からたれたコーヒーをハンカチで拭った。

「うーん……。どうだろうな……」

「気になる人とかさ」

「ああ……」

私のつまらない反応を見て、勘のいい隣人はそれ以上なにも聞いてこなかった。

 私は壁にもたれて、窓の外を見る。なにかのキャンペーンの宣伝らしい。あのムーミンが服を着ていた。昔の帰り道、学生鞄につけていたのがムーミンのキーホルダー。偶然だ。どこかの土産物屋で買ったものだったが、なかなかに使いたおした。埼玉県にテーマパークがあるらしいけれど、行くことはないだろう。

 それはさておき、哲学的なスナフキンの言葉はネットでも度々話題になるが、私はサーカスのプリマドンナの言葉が今でも気に入っている。初恋と最後の恋のちがい、だ。

初恋と最後の恋のちがいを、ごぞんじ? 初恋は、これが最後の恋だと思うし、最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの。

 この歳になると、恋にドキドキするような気持ちもない。頭でわかってしまうのだ。ああ、今この人のことを好きになったなと。だから、その先のこともわかってしまう。恋をすると、とても苦しむということが。わかってしまうのだ。もう、若くなどない。

 好きな人の話をしたあの帰り道は、無邪気なものだった。ココアシガレットなんかを買ったはいいものの、ポケットのミニタオルが邪魔でズボンに入らなかった、なんてこともあった。まあ、持ち歩くものなんて今もたいして変わらない。

 もうすぐ時間になる。この場所では唯一灰を落としている私は、煙を吐きながらジュっと音をたてた。

 ねえ、ムーミン。まだ、いや、やっぱり、あの恋は最後の恋というほどの感情だったね。僕は。

 

おわり。

(スタバのクリスマスブレンドドリップコーヒーがまだ残っています)

エモーショナルな切符

「行き先が書いてあるところ、ですかね」

 ちっとも興味がない。というわけではないらしい。読んでいた本に栞を挟んだ。どうやら、聞いてくれるようだった。

「今の時代、ぴぴっとすれば通れる改札ですよ? 運賃を払えばどこで降りてもいいわけですから」

私はそう言うと、お馴染みのPASMOをひらひらさせた。定期券の文字が目立っている。

「でも切符は行き先が書いてある。私たちが降りる駅のね。それを見つめていると、こう……ここで降りるべきなんだななんて、妙なエモーションを感じるといいますか……。どうでしょう?」

自分から話しだしといて、なんとも説明しがたいふわふわとした理由しかなかったことに気がつく。

 そのとき、貫通扉が開いた音がした。車掌さんだ。タブレットを構えて、乗車状況を確認している。ぱちんっとされることに憧れがあったのだが、今の特急はそんなことはしていないらしい。

「切符を拝見いたしますを期待していました。こちらで降りられるんですね。どちらまで行かれるんですか? なんて話したりして……」

私は思わず、先ほどの続きともとれるようなことを口にしてしまった。

 どうしたものか。話の行き先が分からない。

 

※架空の特急です。

おわり。

(布団のなかで書きました)

友人も仕事中

「同級生なんだ。当然だろ」

 いや、正確には同級生ではない。クラスが別だった。同学年だ。え? 同い年の人のことを同級生と言う? そうか。私にはどうにも違和感があるな。

 まあ、それはさておき。

(閑話休題のことを、それはさておきと訳した小説家は誰だったか)

 社会人になって早数年。あの日々の放課後を思い出すこともある。毎日遊んでいた二十年来の友人との遊びは、今や事前打ち合わせ。しかも一ヶ月前には要予約。私はそれを月一とっている。年にすると十二回だ。なんと、それはだいぶ多いらしい。周りからは驚かれることもあった。

「お互い社会人だと月一がやっとですね。でもゆっくり休みたい日だってあるし、今以上に増やそうとは思えないかもしんないです」

 喫煙所に煙が舞う。

「相手もそうだろ」

LINEの既読はない。友人は仕事をしている時間だった。

 

おわり。

(初めてのブログ投稿にドキドキです)