それほどでもない話があるところ。

ほんの些細なノスタルジー。文章。暇をご用意ください。

苦しむコーヒーと静かな隣人

「最近、いい人いる?」

 隣人に聞かれた。学生のころに帰り道でした些細な会話、好きな人いる? と同じ意味だ。私は、みっともなくも口からたれたコーヒーをハンカチで拭った。

「うーん……。どうだろうな……」

「気になる人とかさ」

「ああ……」

私のつまらない反応を見て、勘のいい隣人はそれ以上なにも聞いてこなかった。

 私は壁にもたれて、窓の外を見る。なにかのキャンペーンの宣伝らしい。あのムーミンが服を着ていた。昔の帰り道、学生鞄につけていたのがムーミンのキーホルダー。偶然だ。どこかの土産物屋で買ったものだったが、なかなかに使いたおした。埼玉県にテーマパークがあるらしいけれど、行くことはないだろう。

 それはさておき、哲学的なスナフキンの言葉はネットでも度々話題になるが、私はサーカスのプリマドンナの言葉が今でも気に入っている。初恋と最後の恋のちがい、だ。

初恋と最後の恋のちがいを、ごぞんじ? 初恋は、これが最後の恋だと思うし、最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの。

 この歳になると、恋にドキドキするような気持ちもない。頭でわかってしまうのだ。ああ、今この人のことを好きになったなと。だから、その先のこともわかってしまう。恋をすると、とても苦しむということが。わかってしまうのだ。もう、若くなどない。

 好きな人の話をしたあの帰り道は、無邪気なものだった。ココアシガレットなんかを買ったはいいものの、ポケットのミニタオルが邪魔でズボンに入らなかった、なんてこともあった。まあ、持ち歩くものなんて今もたいして変わらない。

 もうすぐ時間になる。この場所では唯一灰を落としている私は、煙を吐きながらジュっと音をたてた。

 ねえ、ムーミン。まだ、いや、やっぱり、あの恋は最後の恋というほどの感情だったね。僕は。

 

おわり。

(スタバのクリスマスブレンドドリップコーヒーがまだ残っています)