他愛もない話
「誤解です」
私は、さりげなくも力強く否定をした。隣人は訳が分からないという顔をしている。
私たちは、会話をしていた。本を読んでいた隣人にそのタイトルを教えてもらい、それを検索したのだ。ここでようやく、隣人は私を見た。正確には、私のiPhoneの画面である。そこには隣人が読んでいる本の大手通販サイトと、転職サイトの広告が大きく掲載されていた。もしかしたら本の表紙を写した画面よりも大きいのではないか? と、私は思った。
それはさておき、その様な広告が出るということは、私がごく最近に転職サイトを見たということになる。そこで私は誤解を解こうとしたのであった。
「友人が仕事を辞めるらしくて、私に求人サイトのURLを送ってくるんですよ」
私の訳が分からない話の訳を知るべく、隣人は黙って聞いてくれていた。
私は話を続ける。「だからこんな広告が表示されるんです」と。その発言の裏に、現職を辞めるつもりで仕事を探していたわけではありません。を含ませた。
隣人は、「最近はターゲティングだからな」と言っている。私には何のことだか分からないが、単語から察するにピンポイントで狙い撃ちみたいなものだろうか。
私はここで、先ほど登場した友人の話を思い出した。これとは別の件なのだが、自己破産方法を調べていた友人のWeb広告が、弁護士事務所だらけになったという。まあ、あれだ。こういうことだろう? 椅子が欲しくて通販サイトを見ようものなら、すぐさまにおすすめの椅子を紹介するメールが何通も届く。ちなみにこれは最近の話なので、現在進行形だ。もう椅子は買ったというのに、彼らには関係ないらしい。残念だが椅子は一脚でいいのだよ。
私の他愛もない話が終わると、隣人は本に視線を戻した。大変な読書家である。それにしても、それはそんなに面白い本なのか? 私は検索していた本のあらすじを読んでみた。知らない作家の知らない本。ストーリーも好みではない。そもそも私は、あまり本を読まない人間だ。
私は、ホーム画面に戻ってメールチェックをした。先ほどの通販サイトから一通届いている。新着から開封済みにするためにメールを開くと、先ほどの知らない作家の本がずらっと並び、ご丁寧に購読者たちが買った他の本まで教えてくれている。私は、長いメールをスクロールした。
まったくもって、誤解である。
おわり。
(スターバックスのタンブラーが欲しいです)
染め上げた生成り
「今のは、待ったをかけたいですね」
私は、隣人に話しかけた。隣人は本を読んでいる最中だ。いつも本を読んでいる。その本に栞を挟み、閉じた。「聞こうか」と、ひとこと呟いて。
私は、「待った」の理由を話し始めた。
つい先ほど、乗客の一人が客室係にリクエストをしていた。販売ワゴンの色付きティッシュに「色の付いていない普通のやつがいい」と。ここで、私の冒頭だ。
色の付いていない普通のやつとは、つまり白いティッシュのことで間違いないだろう。不思議ではないだろうか? 白は紛れもない色である。ではなぜ、あるものたちに限っては色と認識されずに、無色とされるのだろう。
「ちなみに、染める前は生成りと言います。糸本来の天然色で、白に黄色がかったような感じです」
これすら無色とは言わない。続けて私は「ティッシュは漂白。紙は……」と、豆ほどの大きさもない知識を披露した。隣人はつまらなそうな顔をすることもなく、ただ黙って聞いてくれている。
さて、私の話はこれで終わりだ。
私が呈した疑問は、二人で考えても解決するものではない。せいぜい「見慣れているものを普通と思う」くらいの結論しか出せないだろう。私たちは科学的に考えるのが苦手なのだ。あともう一人くらい寄ってもらえれば、何か別の答えが見つかるかもしれないが。
それはさておき、私の話にいつも付き合ってくれる隣人には、感謝しかない。話好きの私からしたら、大変ありがたい存在である。私は物事を複雑にしてしまう。それを吐き出させてくれるのだ。
私は、車窓を見た。
無色がどうのと言っておいて、私たちもそうではないだろうか。生成りのままにコミュニケーションをとることなど難しい。みな、何色かに染まっている。
景色が流れていく。
あの色付きティッシュはこの地域の特産品で、染の技術を生かしているものだと言っていた。他の地域で買うと高いらしい。せっかくなので、件のティッシュを買おうと思う。それを隣人に言ってみれば、「いいんじゃないか」と短く返ってきた。
私は、この話で何を言いたかったのだろう。
そうだな。私も隣人も特産品もその値段に至るまで、色が付いているんだよ。とでも言って終わりにしようか。
おわり。
(最近、目薬の消費が早いです)
ある感性の一瞬
「……という花ですよ。お気軽にどうぞ」
花の存在を知っていても、名前が分からない。というのはよくあることだろう。この花に対しての私もそうだ。客室係がサービスをしているこの花の名前が分からない。見渡せば、ほとんどの乗客が買っていた。地域の名産品で、ここでしか買えないものなのだ。もちろん私と隣人も買った。
名前が分からない私たちは、自分たちで名前を付けることにした。隣人が適当に付けていいかと言い出したのだ。そして私たちは、この花を「ひばな」と呼ぶことにした。漢字にはしない。おそらく他の乗客たちは何のことだかさっぱりだろうが、この花は「ひばな」と呼ぶのが合っている。
それはさておき、「ひばな」には面白い特徴がある。その美しい花びらに生き物が触れると、花は放電してあたりに散る。というものだ。なんとも刹那的ではないか。子どものころによくやったような、たんぽぽの綿毛を吹き飛ばすような、ね。
周りの乗客は、気軽に花びらに触れている。その瞬間を掴んだ消えたと盛り上がるのだ。なぜそこに個人差があるのかは解明されていないらしいが、「ひばな」に車内は盛り上がっていた。
けれど、私はなかなか気軽に、とはいかなかった。
車内に分厚い本を持ち込みはしないけれど、私とて読書くらいはする。隣人が何を思い浮かべて、この花を「ひばな」と名付けたのかくらい分かったさ。
彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄すさまじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。
まったく、隣人らしい。まさに適当な名前である。
私は、そんな隣人に視線を向けた。隣人は「ひばな」をじっと見ては、自分の世界に入っていた。あの一文を思い出している隣人も、躊躇してしまうのだろう。
本来、火花を捕まえることなど出来はしない。
そもそも、私たちがこのような感性を持ち合わせていなければ、何ともないことなのだ。自分の命と取り換えても捕まえたかったものが人生にあったか、など。もしかしたら、など。火花を掴めるかもしれない、など。
私は、隣人の様子が大変気になった。けれど、気になったでとどめておこうと思う。
私は、「ひばな」の花びらに触れた。それは、一瞬で火花に変わっていった。
おわり。
(布団カバーを新しくしました)
そんなんじゃないですよ
「これは良いもんでな」
特急列車の車内。隣人が席を立った数分後、初老の男性がそこに腰掛けた。
私に話しかけているのか、それともひとりごとなのか。結局、私はなにも答えなかった。
「今はつくるところも減ってしまったが、昔はここら一帯はこればかりだったんだ。触ったことはあるかい? 手が美しく見えるんだよ」
男性は、どうやら私に話しているらしい。私は男性の方を向き、視線を交えた。
「お前さんにやろう。綺麗な目をしている。もらってほしい」
男性はそう言うと、私の手を取り「良いもの」を握らせた。無論私は否定をして断ったが、無駄に終わった。
「綺麗な目、だなんてとんでもない。貴方の方こそ……」と、言いつつお返ししたかったのだが、男性は立ち去ってしまった。
私はこれをどうすればよいのかと悩んだ。ふと車窓を見る。流れる景色はのどかなもので、私の心とはだいぶ落差があるようだ。
そういえば、ここら一帯はこればかりだったと言っていたな。
私はほんの好奇心から、窓に近寄った。少し開けて、外の空気でも吸おうかとしたのだ。けれどどうにも建て付けが悪く、ガタガタと音を鳴らしている。私は両手で窓を開けた。
その瞬間、風が車内に入り込む。そして、私の手から「良いもの」を攫っていってしまったのだ。あっという間の出来事に思えた。
そんななか、隣人が帰ってきた。窓を開けて茫然としている私に、当然の質問をしてくる。私はことの経緯を話したが、それを攫われてしまったことは黙っておいた。少々バツが悪かったのだ。しかし、また当然の質問をされる。
「良いものって何だったんだ?」
私は困った。見せないわけにはいかない。「綺麗な目をしているお前さんに」の部分を、誇らしげに言ってしまったのだ。
追い詰められた私は、咄嗟に手の平を見せた。
「これ。らしいんですよ」
勘のいい隣人は一瞬戸惑い、そして微笑んだ。
「なるほど。私の目には何も見えないよ」
「綺麗な目をしている人には、見えているんでしょうね」
え? そんな人はいません。
※架空の特急です。
おわり。
(灯油ストーブの前で書きました)
紅葉で別れた
「なに読んでるんですか?」
私は、隣人に話しかけた。正直、紀伊国屋書店のブックカバーで隠された本のタイトルには、興味がない。どちらかというと、この特急列車の車内によくもまあ、分厚い本を持ち込もうなどと思うものだなという関心の方が高かった。
私は、本を読まない。持ち運ぶのが億劫だからである。電子書籍なるものが流行っているということは知っているが、なんともしっくりこないのだ。多分、その方法も私のなかでは「持ち運ぶ」という扱いなのだろう。
隣人が本のタイトルを教えてくれた。しかしやはり、どうしたものか。まったく知らない本である。私は「どんな話なんですか?」なんて言って、話を続けた。聞けば、恋愛小説らしい。燃え上がるような恋愛をしていた恋人たちが、別れるのだという。そこに行きつくまでの過程が話の軸らしく、もうすでに半分は読んでいるようであった。
私も物語は好きだ。歌詞がついている音楽のストーリーを、よく考察している。曲の主人公に感情移入だってするさ。最近だとそうだな、竹内まりやのSeptemberが良かった。偶然にも、こちらも別れの話。
どんなに暑い暑いと言っていても、三月もすれば秋がくる。
そんなような歌であると、私は解釈している。その言葉をどこで聞いたのかは思い出せないが、でもまあ、きっと今の季節のことだったのだろう。他愛ない世間話の最中に、どこかの誰かが、何かを引用したのだ。
車窓からはそのときの光景よりも、壮大な紅葉が見える。その情景に、他の乗客も隣人も、そして私も、秋を感じていた。
おわり。
(紅茶を飲んでいます)
夕方に耽る
「世の中はETCですよ」
高速道路は現金支払いからETC支払いのみに変わろうとしていた。今はその渦中にあり、どちらの支払い方法も利用可能ではあるが、私の素人目にはETC利用者の方が多いように見えている。料金所の有人レーンが閑散としていた。従業員のおじさんがあくびをするほどに。
私の車は新しい車ではない。推奨されている通り、早めにその準備をしなくてはいけなかった。新車はどうかなどと言ってくれるな。あの車は私の青春なのだ。
「実は私、こんな状況に侘び寂びを感じていまして」
本を読んでいる隣人は、わびさびという言葉に明らかな反応を示す。分厚いその本に栞を挟んだ。
「想像、の話ですよ」
隣人は私の話に耳を傾けた。
「今では機械とカメラになってしまいましたが、あの料金所は全レーンに人間が立っていたんです。今は一人のようですね……」
隣人はなにも言わない。ただ聞いてくれていた。
「有人レーンは無くなるそうです。そう遠くない未来に、それは確実にやってきます。現金支払いからETC支払いに変わろうとしている今、この有人料金所はまさに斜陽と言えるのではないでしょうか。これから盛り返すこともなく、ただ衰退をしていく。最期を迎える日も近いですね」
ちらりと隣人の方を見てみれば、夕日が眩しく輝いている。私はすぐに視線を戻した。
「私のような古い車ばかりが有人レーンに行きますよ。料金所のおじさんも、懐かしいと思っているかもしれませんね。私なんかより、その車たちが新車だった現役時代を生きてきたわけですから」
くそ、視線を戻しても眩しいな。私は思わず目を細めるが、この眩しさはどうにもならない。
隣人もこの夕日がたまらないらしい。
「つまりですね……。今の高速道路の料金所には、花の散り際を感じるんですよ。それはもう、美しいと言ってもいいくらいに……」
私の語尾が消えていくと、隣人は少し間を置いて「なるほど」と、返してきた。
おわり。
(TikTokをはじめました)
花の見頃
「もうこの歳だしな」
なんていう言葉は、たくさん聞いてきた。たとえば、そう。多いのは転職だろう。結婚……ということもあるか。とにかく、なにかを始めるのに年齢がチラついて一歩を踏み出せない、ということだ。
私は転職組だが、隣人はちがう。新卒からずっと今の会社に勤めているらしい。そう、桜の開花情報が流れるなかでね。ふとした世間話でそのことに触れれば、隣人は年齢を口にした。いまさら、と思うのだと言う。なるほど。勤続年数が長くなるとそう考えるのかと、大変参考になった。
「私はまだこの会社にいますよ。でも習い事とか始めたいですね」
「たとえば?」
隣人は読書中だ。読んで聞いて話して、器用な人である。
「ピアノとか興味ありますね」
最近見たジブリ映画のサントラピアノカバーを聴いたからだ。別に深い意味もなく、特にピアノが好きなわけでもなかった。教室に見学に行くかどうかも怪しい。せいぜい、Google検索をするくらいだろう。だって、いまさらピアノを習ってどうする? いや、どうにもならない。音大を目指す熱があるわけでもないし、発表会などがあったとしても、大変こそばゆい。誰にも来てほしくなどない。私がまだ学生だったら、真面目に通ったかもしれないがね。
いろいろなものにはタイムリミットがある。他人から言われたり、自分で決めたり、いろいろだ。
転職をするときもそうだった。ある程度の経験が欲しかったのだ。まだ若すぎると躊躇した。
「いいんじゃないか? 電子ピアノを贈るよ」
でも、ピアノを習うのには、歳をとりすぎた。満開の桜など、私は見たことがないよ。
おわり。
(さっき牛丼を食べました)